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二大学合同講演会報告:「在宅医療」

更新日:2021年4月30日

日時:2020年12月12日(土)16:30~18:30

Web開催:Zoomによるオンライン講演会 

参加人数;20名

文責 JCHO北海道病院 長井 桂


 医師と学生が共同でテーマを考え実行するこの会は平成24年から札幌医科大学と北海道大学合同で開催してきました。今回はコロナ禍のため初めてのZoom講演会となりました。

 最初に札幌医大5年生の中村理奈さんから今回の講演会の主旨についてお話いただき、次に清水薫子先生より日本医師会の女性医師バンクについてのご案内があった後講師の先生にお話しを伺いました。

藤原 葉子先生:ホームケアクリニック札幌


 癌患者さんの在宅緩和ケアを専門とし、2015年から現クリニックの院長をされている藤原先生ですが、自宅死の割合はご存知ですか、という問いかけからご講演が始まりました。


 自宅で最期を過ごすことを希望している方は62.3%にのぼりますが、実現が困難だと考えている人も66%もいらっしゃいます。家族に負担がかかる、急変した時の対応に不安、などが大きな原因となっています。自宅死の割合は札幌市では10.8%だそうです。しかしコロナ禍で人々の意識も変わったためか、ここ半年は自宅でのお看取りも増えているそうです。訪問診療は車で30分程度までの範囲とのことですが、やはりそこは北海道、東京23区と同じくらいのエリアをカバーしているそうです。在宅緩和ケアの目的は、生活のサポート、家族のケア、全人的苦痛の緩和、その人らしく生き抜くことだと教えていただき、実際の症例や患者さんの動画も供覧していただきました。大腸がんを患った患者さんの症例では、家族の一員に近い状態で何度も訪問し小さなお子さんのおむつを替えたり、一緒に遊んだりしながら患者さんの希望を叶えるのに手を尽くしている様子がよく分かりました。小さいお子さんに母親の病気をどのように伝えるのか、家族のグリーフケアをどのようにしているのか参加者からの質問にも具体的に教えていただき、大変勉強になりました。患者さんとの写真は医師と患者の枠を超えた信頼関係が伝わってきます。


 講演後にキャリアのお話をしていなかったとスライドを送っていただきました。藤原先生は当初麻酔科医であったものの、3人のお子さんができた後東京から北海道へ移住。なんと約7年間医師活動はせず、森の近くに家を建て、羊を飼い、無認可保育園をつくるなどされていました。しかし、また医師として働き始め、緩和ケア病棟で常勤医としての勤務を経て、2014年に在宅緩和ケアの道に進まれたそうです。初めてお話してもリラックスでき、懐の深さが感じられるのはこのようなキャリアを送ってこられたためかもしれません。 



佐賀 亮介先生:札幌さがクリニック


 「訪問医になりました」というタイトルで、ご自身の半生をお話いただきました。親の強い希望があり、レールを敷かれ医学部に入ります。しかし、大学では常に留年スレスレ、部活や麻雀などに明け暮れ本試で合格すると奇跡と言われた学生時代など、包み隠さずお話いただきました。卒業後はお母さまの病気や、祖母の逝去などがきっかけになり北海道で研修することを決心されます。

 最初は室蘭製鉄記念病院で研修を行い、当初は外科を目指していましたが、今後家族ができた時に、外科医として今の生活を続けると子供の面倒も見られなくなるのではないかという考えが生じ、人の生き死にに携わる重要な科の一つとして呼吸器内科を選択し、札幌医大第三内内科へ入局されました。医師7年目で科のトップとなり、そこで5年目と4年目の女医さんと一緒に働くこととなったのですが、なんと5年目の女医さんと交際後僅か4カ月で結婚、お子さんが授かります。翌年奥様は産休となり、2名体制となりましたが、子供が2名いる4年目の女医さんは夜間の勤務が困難であったため、ほぼ1人で夜間の救急対応をつづけられました。

 その後の進路を決める際に奥様が医師として働きたい、子育てもしたいという希望を叶えるため、夫婦で2人分働く環境を模索し結果的に訪問医という選択肢をされます。

 特別な訪問医としてのトレーニングはしなかったものの、できることをやるだけで助けになる人はいるはず、という思いで開始されます。訪問診療のよい処の一つは「日光を浴びられる」というご意見に医師ならば同意するのではないでしょうか。訪問医をやっていて困ることは、本人や家族は診察を希望していないが訪問看護師さんからの要請がある場合や、独居の認知症の患者さんや、生活が破たんしている方の入院適応の判断などがあることを教えていただきました。小学校5年生の時に始めたバレーボールとの出会いはその後の人生にも影響を与え高校、大学、そして社会人になってもずっと続けているそうです。バレーボールで培ったチームワークの精神が地域の介護サービススタッフや、病院への橋渡しに役立っているのだと思います。高齢化社会に医師が患者の家へ行くことで助かる人も大勢いるため、訪問医も悪くないですよ、という言葉で締めくくっていただきました。 



土畠 菜々先生・土畠 智幸先生:生涯医療クリニックさっぽろ


 まずは、土畠智幸先生に稲生会の紹介から始めていただきました。小児・障害者の在宅医療は全国的にも少ないなか、訪問診療、訪問看護ステーション、居宅介護事務所、短期入所事業所、相談室などを展開されており、その診療の様子も動画でみせていただきました。「医療的ケア児」とは気管切開、胃ろうなど在宅でのケアが必要な子供のことをいい、最近増加傾向です。特に人工呼吸管理が必要な子供が増え、医療的ケア児の4人に1人にのぼるそうです。診ている在宅患者さんは200名を超えますが、その約4割は20歳以上であり、小児期から継続して診療を続けているため「生涯医療クリニック」という名前にしているそうです。 

 多くは慢性疾患ですが、母体内で異常が発見され生後長く生きられないと分かっている乳児の家庭でのお看取りもされています。人工呼吸管理はNPPV(非侵襲的陽圧換気)が約半分を占め、24時間人工呼吸器が必要なTPPV(気管切開下陽圧換気)の方が約3割であり、札幌全域の他に小樽、千歳など8市町に渡る地域をカバーしています。診療だけでなく社会活動も積極的に行っており、医療的ケア児家族の生涯学習(みらいつくり学校)、小児在宅医療連携拠点事業、医療的ケア者の生涯学習(みらいつくり大学)、オンラインで障害者の方と学びの場を作ったり、お子さんを亡くされたご家族と一緒に食事を作って食べる(みらいつくり食堂)、絵本製作から映画の医療監修など精力的に活動されています。クリニックでは非常勤医師として女性が活躍されており、週1~3日という限られた時間ではあるものの充実して勤務されているそうです。


 次に、土畠菜々先生にご夫婦が現在の仕事に至るまでの経緯をお話して下さいました。なんと旭川医大と北海道大学にそれぞれ在籍中に学生結婚され週末のみ同居、卒業試験の真っただ中、国家試験直前の12月にご出産されるという驚きのスタートとなります。国試の最中は搾乳しながら試験を受けられたそうです。2年間の初期研修の間に2人目、3人目のお子さんも誕生しましたが、当直業務や地域研修も行い研修を終えたということで、通常では考えられない困難を克服しながらの研修だったと思います。その後は非常勤を経て、智幸先生が小児在宅医療センターを開設したこともありそこで勤務を開始されます。一日のスケジュールも提示していただき、朝のZoomミーティングに始まり、お2人で家事を分担している処も非常に理想的なご家庭だと分かりました。お子さんが大きくなってきたため、今後は夜間の対応当番などもする予定とのことで、育児時期からのスムースな復帰ができる働き方を教えていただきました。最近では医療的ケア児の母親が婦人科検診を受けられず癌の発症が続いたことから、婦人科クリニックとコラボして集団検診を開催されています。小児在宅医療と女性医師は、家庭や育児そのものがキャリアとなり、両立しやすいこと、すべての人生経験や立場が在宅医療をより良いものにしていくこと、という素敵なメッセージをいただきました。



 オンラインでの開催ということで、どのタイミングで質問したらいいのか、発言はしてもいいいのか迷うなどの意見もありましたが、積極的な質問も出て、チャットで意見を出し合うなど予定時間を20分ほど超過した活気のある会になりました。最後に北海道大学医学部6年の山下たんぽぽさんに総括と御礼の言葉を述べていただき会の終了となりました。

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